投票日当日に選挙に関するブログを書いても、ほとんど全くもって影響の無い文章になってしまいますが、自分の意思を確定するために書こうと思います。
この前友人と話していて、「少数政党に投票して、死票になるほど無駄なものはない」という発言に、どうも引っかかるのです。
彼の趣旨は、政権を取らない政党に投票しても、政権運営を出来なければ、意味が無い。というものです。
私は、やはり、それは違うと思うのです。
民主主義は、少数の意見を反映しつつ、賛同した多数の意志を遂行する政治ではないかと私は思うのです。
残念ながら、日本は、自民党が少数意見を反映するような政治手法を放棄してしまったようにも思えます。
結果、二大政党制への移行が叫ばれているのではないかと感じます。
しかし、二大政党制というのは、民主主義を考えたときに、おかしいのではないかと感じます。
われわれは多様な利害と主張を一人一人もっており、その意志を反映する政党に投票するものだと私は考えています。
もし、二大政党制になってしまえば、どちらか片方しか選べないという状況が発生します。
どちらか片方が政権を担当すれば、負けた方は以降、肩身の狭い状況に追い込まれる。
というのは、アメリカの現在の姿ですが、日本でも、そういう集落を実際に見聞きしたことがあるので、それは健全な民主主義ではないと私は感じました。
日本は現在、二大政党制に移行しつつあります。とマスコミは喧伝しています。
しかし、日本は二大政党制に移行しているのか?という疑問があります。
もし二大政党制であれば、「自民党・公明党連立」ということ自体がおかしいのではないかと感じるのは私だけでしょうか?
日本は、現在も多党制であると考えたほうが正しいと思います。
それであれば、投票行動は、少数選択ではなく、もっと自由に多数の選択肢を選ぶというほうが自然な気がします。
日本が二大政党制に移行しないだろうと私が考える理由は、日本は狭い国ながら、国土は急峻な山と川に分断されているコミュニティーがあり、都市部は都市部で、収入によって分けられるコミュニティーがたくさんあるからではないかと感じます。
そこが日本と英国・米国の違いです。
日本人はまだ、貧富の階層分化ではなく、コミュニティーによる違いのほうを信じているように私は思います。
ところで、前回の衆院選を私は手伝っていますが、先輩記者たちの「票読み」という取材に対して、どうも違和感を感じていました。
先輩記者たちは、有力な後援者に話を聞きにいくという作業をするのですが、僕が感じたのは、有力後援者に話を聞くぐらいで、若い記者やマスコミに選挙結果を予想されてしまう有権者のレヴェルの低さです。
たしかに、「コミュニティーの利益を守る」というのが有権者の最大の意思決定要素のように思いますが(結果として、○○党支持者と区分される)、われわれは多様な意志を持っているはずで、それはどの政策(利益追求方法)かによって、投票行動を決めるというのが成熟した有権者ではないでしょうか?
「無党派層」とメディアが呼ぶのは、まるでこの層全体が投票日当日に、ある党の支持者層に成るというニュアンスを醸し出していますが、これはかなり違和感があります。
僕は、メディアが無党派層を「開票予定稿を書くのに邪魔な存在」としか考えてないように感じます。
われわれ有権者は、メディアごときに「○○党支持者」と区分されるほど、バカではないはずです。
それぞれに、自由な投票がしたいものです。