高松地裁:
昨年8月、別の被告に詐欺事件の判決言い渡し
↑共同通信の特ダネですが、保存期間が長いので毎日にリンクしました
修習中に裁判所女子トイレに侵入 容疑の司法修習生逮捕
新聞記者が追及するミス=誰かの不手際。
この場合、権力者のミスを指している。わかりやすいのは、立法、司法、行政のミスを追及すること。
私は学生気分のままで働いていたから、何か違和感を感じていた。
私自身が、他人のミスを追及できるほど聖人君子でないどころか、
日々の記事の締め切りにも苦しむ、どうしようもなくいい加減な人間であったからだ。
メディアは既に第四の権力であるというのは、マスコミに勤める若い友人や、一般企業の友人、公務員の友人にも共通している認識事項だ。
2ちゃんねらー達が、「マスゴミ」と指摘(※1)するのもよくわかる。掲示板に書き込む人間と、記者個人個人はおそらく能力(学歴・対人能力など)に大した差がないのに、同じように他者を追及することが、前者には許され、後者には許されない。
その矛盾に、私は答えを見つけることが出来なかった。
※1=中傷というほど強くないので
今、ニュースを受信するだけの立場にたって、曖昧な解答は出せる気がする。
だから、もし若い新聞記者が読んでくれるなら、ちょっと心に留めて欲しい。
私が働いている時にも、高松地裁であったようなミスがあった。
「拘置所の刑務官が被告人の送迎時間を間違え、被告人不在のために公判開始が遅れた」というものだ。
この公判を傍聴していた私は、なかなか公判が始まらないのに少し違和感を感じた。
しかし、前の公判が長引くことなどで、2~30分の公判開始時間の遅れは普通だ。
この時は違った。あまりに遅いので、裁判官が一度退廷してしまった。
しばらくして、裁判官は戻り、公判は始まった。
私はそれでも、違和感を追及しようとする気が起きなかった。記者失格。
この時、公判を傍聴していたのは顔馴染みの先輩記者と私の二人。
私は彼に「なんかおかしいですよね。なんか書いたほうが良いんですかね?」と聞いた。
全くの馬鹿だ。本当に馬鹿だ。
次の日の朝刊。先輩記者の新聞には大きく載った。
支局には地方部から電話がかかり、私は支局デスクと支局長から怒鳴られ、裁判所が休みの土曜日に事務官の家の電話番号を探り、裏を取り、追いかけ記事を地方面に書いた。恥である。
この時私は、なぜこんな事が記事になるのかわからなかった。そして、デスクに口ごたえした。もう良く覚えていないが、デスクは言った。「隠そうとするのは身内のミス。ミスは隠したくなるもんだ。だから書くんだろ」
私は思った。「追いかけ記事を書いている俺は、もっと恥ずかしいじゃないか」
翌日、結局追いかけたのは私の新聞社だけただった。当時、私はただ虚しかった。
今回の「
高松地裁:昨年8月、別の被告に詐欺事件の判決言い渡し」のニュースだって、朝日は追いかけていない。
しかし、記者をやめた現在。ニートだから分かる。
権力のミスは追及しなければいけないのだ。同時に自分のミスも公開しながら。
2ちゃんねるの掲示板に書き込む人たちとの最大の違いはそこにある。
掲示板は、誰にも自分を知らせずに書ける。
マスコミは違う。誰かのミスを追及しているのは、その新聞社やテレビ局の看板を背負った個人なのだ。つけこまれる前に、自分を公開しなければいけない。第4の権力の源泉はそこにある。
私は馬鹿なので、当時は気付かなかった。しかし、今はデスクに感謝している。
第4の権力。現在、その源泉は揺らぎつつあるのかもしれない。
何故かはあなたの答えに任せたい。